14. 空想から科学へ


ジョージ・ソロス著の「ソロスは警告する」を読んだ。

今回の経済危機は、市場主義経済への過度の依存が生み出した、大恐慌以来のバブルが原因であることを、いち早く予想し、警告していたことがわかる書であった。



ソロス氏は、1930年ハンガリー、ブダペスト生まれのユダヤ人。ソロスファンドを設立し、デリバティブを駆使し、空前の利益を毎年たたき出していた。
史上最強の相場師と呼ばれ、ポンド売りでイングランド銀行を破産させた男としても有名。第一線を退いた今でも、世界の金融市場に絶大な影響力を持ちつづけている。



その彼が、「人間は、世界を完全に理解することは出来ない」、したがって、「普遍的なモデルが成り立つような経済学は役に立たない」と言っている。そして彼は自ら考えた「再帰性」の理論を提唱している。この理論はかなり複雑なのでここでの説明は省略するが、この理論は、法則でも公式でもない。逆に、経済学は単純な法則、公式では説明できないことを強調しているのである。


   

          NZ:クライストチャーチ:エイボン川


  

さてマルクスは、資本論において「共産主義への必然性」を説いたと言われているが、約140年後の今日になって検証してみると、社会事態がマルクスの時代と大きく変化していることもあり、彼の説いたことの半分は正しいが、半分は間違っていたと言ってよいであろう。


正しいほうの半分は、過去の歴史について分析し論じた点であり、間違いのほうの半分は、将来の歴史について予測した部分である。マルクスは、過去と現在の社会からいくつかの法則を導き出したが、残念ながらその法則は当たらなかった。つまり正しくなかったのである。


「空想から科学へ」の中で、エンゲルスは、「今までの社会主義は空想的なものであったが、マルクスが二つの大発見をしたのでこれによって、社会主義は一つの科学となった」と言っている。



二つの大発見とは:

@     唯物史観

A     剰余価値

の二つの発見である。


@の「唯物史観」は、それまでのキリスト教を中心とした「唯心史観、観念論」に対            し、経済を根底にした歴史観として登場したものである。しかし、人間の社会は「物」だけ見ても、正しく観たことにはならない。「心」の方にも同じぐらいの重要性を置いて考えることが必要である事が次第にわかってきた。つまり唯物史観の限界が露呈されてきた。


Aの「剰余価値」とは、資本家が支払った労働力の価値(賃金)以上に、労働者によって生産された価値。企業利潤・地代・利子などの所得の源泉となるもの。資本家は、この剰余価値を労働者から搾取しているとして、マルクス経済学の主要概念の一つであるが、「剰余価値にはプラスしかなく、マイナスの剰余価値は存在しない」と言うところに無理があった。


  

          NZ:クライストチャーチ:サムナー


自然科学は、一人の学者がある法則を発明したら、すぐにそれが他の学者によって正しいか否かの検証が可能である。また逆に検証が不可能であれば、その発明は法則として認められない。


一方、社会科学は、法則なり、公式なりが発明されてもそれの検証に、何十年も時間が、かかるのが普通である。実験室で確認すると言うわけには行かないのである。その法則なり、公式なりを発明した人、或いは、それを理解した人が、実社会に適用してみて始めて検証の結果が出てくる。


自然科学はまた、発明、発見するまでは大変であるが、ひとたび発明、発見してしまうと、その内容は案外単純なことが多い。つまり法則、公式に含まれる変動要因が少ないのである。


しかし社会科学の方は、自然科学ほど因果関係が単純ではない。人間社会を扱うと言うことは、複雑で微妙な「人の心」を抜きにしては語れない。従って、法則や公式に含まれる変動要因が多すぎて、はじめから意識的に単純化したり、捨象化したり、平均化するしか方法はないのである(これは資本論の前提条件にもなっている)。その結果、正確性を欠き、将来の検証には耐えられない結果となってくる。


エンゲルスが小躍りして喜んだであろうマルクスの二つの大発見は、残念ながら真理とは言えなかった。「空想から科学へ」のパンフレットを読んで感動し、共産主義思想に傾倒して行った若者も大勢いたのであるが。


  

         NZ:クライストチャーチ:モナベイル公園


最近、ノーベル経済学賞を授賞したような論文でも、数年後には陳腐化して使い物にならないと言う例が後を絶たないという。それだけ社会科学における不変の真理を発見することは困難であると言うことだ。

イギリスの歴史学者、アーノルド・トインビーは、その著書「歴史の研究」(中央公論社 世界の名著P.292)において、未来社会に対して、味わい深い示唆をしているので紹介しておきたい。(No.2でも一部引用している)


「かつて全く無統制だった民主主義諸国の経済の中にも、明らかに不可抗の勢いで計画化が侵入しつつある事実は、すべての国の社会構造が近い将来において、国家主義であると同時に、社会主義的なものになる可能性のあることを暗示する。単に資本主義体制と共産主義体制とが、肩を並べて存続するように思われると言うだけではない。資本主義と共産主義とは、ほとんど違いの無いものに対する、別の名称になりつつあるのかもしれない。」


トインビーの予測は、未来の社会は混合経済になり、それを指して、ある人は資本主義といい、またある人は共産主義と言うようになるであろうと言っている。


社会科学においては完璧な理論、完璧な公式、完璧な法則が示しえないとすれば、とりあえず我々が目指すべき指標は、仏教で説くところの「中道」と言うことになるのであろうか。


  

             NZ:マウントクック


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